ギリシャ悲劇について 1

今回はギリシャ悲劇の歴史についての記事です。
長くなりそうなので2回に分けて書きます。
研究者ではないただの一般人による見解ですので、間違いがありましたらぜひ有識者の方はコメント欄等でご指摘ください。


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ギリシャ悲劇はすべての文学の原点とも言われるそうで、その思想は現在に至るまで多くの作品に多大な影響を与えています。
では、そのギリシャ悲劇とはそもそも一体何なのか?

むかしむかし、狩猟民族と農耕民族がいました。
狩猟民族は狩りをして生活をするため、獲物を捕ってくる父親が一番偉い、父権社会の傾向が強かったそうです。
一方、農耕民族は子どもを生み家を守る母親が一番偉い、母権社会の傾向が強かったそうです。
そのため、狩猟民族の崇める神様は天候をつかさどる(←狩りは天気に左右されるので)男性神が多く、農耕民族が崇める神様は土や豊穣をつかさどる(←天気も大事だけどより直接的に)女性神が多かった。

さて、たびたびその狩猟民族と農耕民族がナワバリ争いやなんかで衝突します。
大体は腕っ節の強い狩猟民族が勝ちます。農耕民族側は、男は殺され、若い女は連れていかれます。
そのようなことが繰り返される中で、信仰の面においても狩猟民族側の男性神が農耕民族側の女性神を屈服させる、文字にしてしまうと「男性神が女性神をゴー(・A・)カンして征服する」という構図を背景とした神話などが出来上がりました。
「天空神(男性神)が地母神(女性神)を征服した」という下地がまずあるというわけです。
(追記1:狩猟民族→狩猟・牧畜民族としたほうが合っているかもしれません)
(追記2:これは主人の考えですが、天空神はもともと男でも女でもなくて、男性というのは農耕民族征服後の後付なのではないかと。地母神=豊穣=産み増やす=女性は理屈がしっかりしているけど天空神=男性はそう設定する理由が見つからないから……だそうです。また、ゴー(・A・)カンが意味するところは女性から生殖の主導権を奪うということを意味しているのではと考えられます。天空神VS地母神の戦いとは、つまるところ生殖に関する主導権の争奪であるとの見方もできるのではとのことです)

なお、この「天空神」は理性・知性・精神・秩序の化身として描かれます。
「地母神」は混沌(カオス)・肉体・感情の化身として描かれます。
現代でも「男は理論でものを言い、女は感情でものを言う」とはよく聞きますが、思うにこれは脳の仕組みが生物としてのレベルで違っている傾向があったりするからなんでしょうね。もちろん個人差はあるのでしょうが、女性がホルモンバランスやなんかでその日の気分が左右されるのは仕方がない部分もありますし。
そんな女性の性質は、昔から「カオスwww」と思われてきたのでしょう……。
(追記:もしかしたら女性=カオスなのは「子どもを産む(体内から人間が出てくる)から」の方が理由として強いかな、と思いました)

さて、そんな風に力ずくで農耕民族の女性は狩猟民族側に取り込まれ、豊穣のイメージである蛙や蛇などをモチーフとした地母神は邪神扱いされます。(なぜ蛇が地母神であるかというのは、蛇は水の恵みのイメージの他、ネズミを食べてくれるため農耕民族的にはありがたかったからと思われます。飼い猫が広まる以前の話です)
望まずに連れてこられ嫁にさせられた女性たちは、ハラの中では「今に見てろよ」と思っていたことでしょう。
そのような状況で、征服者としての後ろめたさからか、そうした女性たちのハラをうすうす感じたか、悪いことや辛いことがあると征服側は「これは地母神の呪いに違いない」と考えるようになり、地母神の復讐を恐れました。
そこで、父権社会を保ちつつ地母神の怒りを抑えるための方法が考えられました。いろいろな祭事が行われたほか、神話の形成にもその方法が取り入れられました。

たとえば、神話の中で「父を殺す」。
それを3回やっているのがギリシャ神話です。
ウラノス、クロノスは言わずもがなで、残るひとつはゼウスです。ゼウスはアテナが生まれた時点で神の王としては死んでいるということになるそうです。
父を殺しても、また男性神がそのあとを継いでいては一緒なので、埒が明きません。
そこで3回目のゼウスの際は、男性神の頭から生まれたために知性・理性・秩序といった男性神的性質を持ち、しかし体は女性神という、両性具有的な神様を登場させました。それがアテナです。そしてその神様を守護神としたのがアテネの町です。女性の姿ということで地母神にも納得してもらいながら実際は男性が統治する、という形でしょうか。

まとめると、主人の見解では、もともとはたくさんの小さい民族の間で信仰されていた「おらが村の神様」を、そのように「いかに地母神側に納得してもらいながら父権社会を成り立たせるか」の方法として体系化していったのが神話ではないだろうか、平たく言うと、狩猟民族が農耕民族を支配する際のシステムだったのではないだろうかとのことです。

さて、上に書いた「いろいろな祭事」のひとつと思われるものに、エレウシスの秘儀とよばれるものがあります。
「秘儀」なので外に漏らしてはいけないので、どういうものだったのかはっきりとはわかっていないらしいのですが、おそらくデメテルとペルセポネーに関する内容であっただろうといわれているそうです。
豊穣神のデメテルはゼウスやポセイドンに乱暴されるわハデスに娘をさらわれるわと、男からひどい目にあわされたせいで狂ってしまいます。その狂いが呪いとなって表れているのが冬という不毛の時期で、エレウシスの秘儀とはデメテルを慰めて冬のつらさをやわらげてもらおうというものであったのではないかと。
父権社会の男性神が支配する中で、ひっそりと地母神を慰める儀式が行われていたということです。
で、その秘儀をちょっとだけバラしちゃったと思われる人がいました。
それがアイスキュロスという人です。三大悲劇詩人とよばれる人の一人です。
アイスキュロスの作品はエレウシスの秘儀に影響を受けているという説があり、そしてそれがギリシア悲劇の始まりであったとも考えられるそうです。

当時のギリシャの劇場には、舞台の中に生贄台があるものもありました。
その生贄台からは、生贄の血が地面に流れるように作られていたそうです。つまり地母神への捧げものです。
その舞台で上演されていたのが、当然地母神を扱ったものですが、カタルシスを目的としたものであったと考えられるそうです。
例えて言うと日本の節分の豆まきのようなもので、鬼役の人がいて、その人に豆を投げて家の外に追い出すフリをすることで無病息災を願います。
同じように、まず地母神側として描かれている役が劇中で猛威を振るいますが、最終的には男性神側の役の人と和解します。そのような流れの話を演じることで、あえてわかりやすい言葉で言うと「ごっこ遊び」をすることで(遊びじゃないけど)、地母神の気を静めようということだったのではということです。
ちなみにこうした劇場は半円型で、上演の際は観客と舞台を隔てるようにコーラス隊が付きました。このコーラス隊は、地母神の呪いが舞台から漏れ出ないよう、歌でバリアを張ってたという説もあるそうです。
なお世の中は表向きは男性神が支配する父権社会なので、当然こういった劇が目立ってはいけません。なので、こうした劇はいわゆるアングラな存在だったのではないかと思われます。
このような形で地母神を静めさせる劇を上演することで、実際は地母神信者たちの鬱憤晴らしの場になっていたのではないかなとも考えられます。

長くなりましたが、これが初期のギリシャ悲劇についてです。
繰り返しになりますが主人独自の見解が入っている部分もあると思うので、鵜呑みにしないでね。
ギリシャ悲劇について 2」に続きます。


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